堺眞悟に出逢ってくださったみなさまへ

DAN architecture consultant

© DAN architecture consultant

私は日頃から、
楽しさとは与えられるものではなく、創り出すものだと考えている。

住まいづくりにおいて、限られた予算の中で
お客様の遊び心をどこまで実現できるのか、
お客様に喜んでいただける遊びをどこまで提供できるのか…。
そんなことをいつも考えながら、家を創り出している。

遊びのある家は、予算があるから創れるのではない。
お客様と私たちが、楽しみの中で一緒に創ってこそ、
生まれてくるものである。

父は自由気ままで自分が決めた事は絶対で、頑固で、我がままで、家族であっても物事を任すや信用する事を絶対にしない人でした。しかし、僕のする事とに関しては、一切口を出しませんでした。
今思うとそれは信用してくれていたから、でしょうか…。

僕は高校進学まで建築には興味が無く、何なら避けていた気がします。避けていた理由は、父と同じ道へ進もうなら絶対にまわりから比べられたり、後継ぎ扱いをされる。
それが嫌でまったく違う道を歩みたいと思っていました。
でもある日、某建築関係のテレビ番組を見て建築に興味を持ち、建築業界へと進む事を決めました。
ただやはり、父への憧れからと思われたくなかったので、父に相談もせず、専門学校への進学を決め、就職先を決める際にも父の会社とは全然違う所へ就職しました。

しかし、偶然なのか必然なのか分かりませんが、縁あって父と一緒に仕事する事になったのですが、それでも父は何も言うことなく、特に教える事もなく、何なら同じ事務所内なのに個々の仕事をしていたぐらいでした。

ですが、父が亡くなった後に、父と親交の深い方とお会いする機会があり、そこで父が僕の事をすごく褒めていてくれていたことを知りました。そして僕になら、事務所を心配無く任せれると言ってくれていたことを。
今まで何も言ってこなかった人が、人を絶対信用しなかった人がそんな事を言っていたのだと知り、とても驚きました。
改めて、父の想い、期待を裏切らないように、檀建築コンサルトを守り続けていきたい、そう思いました。

父が目指した住まいづくりを引き継ぎながら、変化していく時代に合わせた新しい住まいづくりを常に探究し続け、父に恥じぬ住まいづくりを目指し取り組んで参りますので、今後とも宜しくお願い致します。 堺 陽平

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私が幼い頃、父はいつも建築現場に連れて行ってくれました。朧げにある記憶の中には木の匂いや釘を打つ音があります。
でもいつの頃からか、父の仕事は私の敵になりました。
「日曜急に仕事になったから、遊園地、また今度な!」楽しみにしていた約束が、そう言っていつも簡単に破られるようになり、大好きな父との時間を奪われたからです。
そうしていつしか、「お客様のために」が口癖で仕事ばかりだった父を嫌い、遠ざけるようになりました。
父から「建築の道に進む気はないか?」そう言われた時も「それは私の道ではない」と反抗するように拒み、ファッションの専門学校に進み、服の販売員になることを選びました。

やがてその仕事が上手くいかなくなり、何もかも嫌になり、逃げるように父の事務所に転がり込んだのは、27歳のとき。当時は今以上に何もできずまったく役に立てず、たくさん困らせ心配をかけました。

きっと父は、何も聞かず何も言わずに私を転がり込ませたことを、何度も後悔したことと思います。
けれど私は、自分のした選択を今まで一度も後悔したことは、ありません。
父との日々は全て、人生の授業でした。学校では教えてくれない、生きる上で大事なたくさんのことを教わりました。

その最期の授業が、命の授業でした。

2019年3月に“ステージ4の末期癌で余命3ヶ月”と宣告された父。その日から約1年、ずっと病気と自分と闘ってきました。

ネットや書籍をたくさん読み調べ、いろんな対策と体制を導き出し、全て自分で選択し行動していました。

「俺の命だ 俺の人生だ 誰にも何も言わせないし やれることは全てやる」

時にそれはわがままで、周囲を振り回し、呆れられることも多かったですが、それは父が今までずっと貫いてきた、いきざまそのものが詰まった日々でした。
その姿は、私のこれからの人生の全てに繋がりいきていく、世界でただ一つの教科書となりました。

「俺がこれからするその全部、成功も失敗も全部、みといたらいい。その全部は、お前らの時の参考になるんだから。」

私と弟にそう言って、挑戦も失敗も、どこか楽しんでいるようにみせてくれていました。
常識なんてなく俺流を貫き通し我が道を生ききった父。
父は私たちに、生きることの素晴らしさ、人の温かさ、人生の喜び、大きな愛を、そのいきざま全てで教えてくれました。

私はいつしか、”父のように生きよう”そう思うように、なりました。

父が愛した住まいづくり
父が愛した檀建築コンサルタント
父が愛したこの道を

これからは私たちが歩き真心込めて父のぶんまで愛して参りますので、
父に出逢ってくださったみなさま
これから出逢ってくださるみなさま
どうぞよろしくお願いいたします。 堺 恵子

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History of Shingo Sakai

  1. 和歌山県 龍神村で生まれる

  2. 修成建設専門学校 卒業

  3. 新建築構造研究所 勤務

  4. 一級建築士 取得 専門学校を卒業してからの20年の間で、現場監督、構造計算、営業など様々な業務に携わり、いずれ独立することを見据え経験を積んでゆく。

  5. 有限会社 檀建築コンサルタント 設立 当時の所在地:和歌山市園部

  6. 現在の楠本のログハウスへ移転

  7. 67歳 永眠

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Message for Shingo Sakai

父 堺 眞悟へのメッセージがあれば、ここに残してあげてください。 在りし日の父との思い出など、拝見できれば嬉しく思います。

お名前(ニックネーム)
メッセージ
画像(jpg、gif、png)※5MBまで

バンちゃん

もう一度 堺さんの作ってくれた料理をご馳走になりながら、お喋りしたかったなぁ…
1週間前に檀さんから届いた封書 不意打ちをくらったように言葉を失ってしまい。。
ここ数年は年賀状だけで てっきり お元気だと思っていた自分を、本当に悔やみます。

もう30年前になるでしょうか、、
一緒に働いていた時の職場仲間15人ぐらいで行ったキャンプ、花園村だったかな‥
そこに 堺さんに連れられて幼い陽平くんが居て、確か 白い仔犬・チャッピイ?も。スイカ割りしたのを憶えています。
お父様の意志を継いでいくようになられたんですね、お姉さんの恵子さんと一緒に。

最期まで俺流を貫いた堺さん
いいお父さんだった堺さん
本当にありがとうございました!

設計してもらった居心地いい部屋と共に忘れません。

石井兄

お手紙ありがとうございました
あまりも急なことで凄くショックです。
18年前に弟とともにお世話になりました。
色々と、ムリを聞いてもらいました。
日差しが沢山入る家で今でも私の大のお気に入りですよ。夏は暑すぎますが、

またいつの日かお会いしましょう
ありがとうございました。

2000年 I邸フルログでお世話になった者です。 

 堺さんと出会ったのは今から20年前のこと。長年ログに憧れていた私はログの見学のつもりで、たまたま寄ったログハウスが檀建築コンサルタントさんでした。

 その日から堺さんと共に20年来の私の夢が現実に向かって動き出しました。
 
 設計が終わるまでの約1年間、添付した手書きのスケッチなどを見せてもらいながら、時にはお互いのこだわりをぶつけ合ったり共感したり、それでも笑顔にあふれた打合せの度に近づいていく夢のかたち。
 今から思えばそのワクワク感で一番幸せな時間だったのかも知れません。そんな時間を堺さんや小林さんと共有できたことを今でもうれしく思っています。

 このページの写真を拝見してると、今でも声が聞こえてきそうで堺さんの訃報が未だに信じられないです。 
 
 我が家には完成後にスタッフの方々と食事会をした時の写真パネルがあって、そこでも堺さんが両手をあげて笑顔で完成を喜んでくれています。

 きっと我が家や作って頂いたテーブル、翌年お世話になった兄貴の家にも堺さんが生き続けてくれていると私は信じています。

 堺さんにお会いすることができて私の夢は実現できたと思っています。

 堺さん、本当にありがとうございました。

清水 久登 奈巳 結奈

お久しぶりです。
堺さんからお手紙が届き"なにかな〜♪"
とお手紙を拝見しすごく驚きました。
私たち家族が家を建てたいと思い
親戚の島岡ちぃちゃんに紹介され初めて
伺った時は、お父様が対応して下さいました。
それまで数々のハウスメーカーの方とお話
しましたがお父様のサバサバした感じ、
そして職人さん!って感じが凄く印象が
良くてすぐに主人と"ここで建てよう!"と
決めたのを凄く覚えています。
堺さんと打ち合わせの際も素敵なログハウス
で可愛いわんちゃん、猫ちゃんがいて
近くにはお父様がいるのが当たり前だった
気がします。娘が暇にならない様にお姉様も
たくさん遊んでくれて助かりました。
堺さんの元で私達の理想のままの
お家が建てれたこと、お父様との出会いも
すべて良い思い出です。
ありがとうございました!!

千葉

堺さんと紀ノ川の河川敷に薪にする木を、拾う(切りに)行って
漆の木が混ざってて、全身かぶれて、かゆくてかゆくてたまらなかった事を思い出します。モカとのフリスビーキャッチ、楽しかったです。
色々と思い出やエピソードが有って書ききれませんが、最高の家をありがとう!

あっちで、ゆっくりしてください

高台のN 2017年建築

素晴らしいホームページに感動しました。

私は家作りでたくさんの大手ハウスメーカーや工務店を回って悩んでいる時に、檀さんと出会いました。今思えば不思議な縁でした。初めて事務所に行って話しを聞いた時は衝撃的で、帰りに妻に「檀さんで決定やな」と話した事を今でも憶えています。(高い買い物なのでこんなに早く信頼してよいかという不安は少しありました)

しかし檀さんの家作りに対する姿勢に惹かれ私自身も逃げずに真剣に向き合おうと気にさせてくれました。

打ち合わせでもたくさんの要望にこたえてくれました。無理を言ってたと思います。

打ち合わせ終わりに手作りカレーをいただいたり、檀さんの釣った魚をいただいたり多趣味で自分の父親の様に思っていました。


檀さんに設計してもらえて家を建てる事が出来て本当に感謝しています。
妻と子供達もこの家が大好きです。


これからも檀建築コンサルタントの皆様の益々のご発展をお祈り申し上げます。

D

ホームページリニューアルおめでとうございます!
檀さんに会った時のことを思い出しました。

大手メーカーで建てたかった私…
それとは違う形で建てたかった夫…
その溝は、なかなか埋まらずでした。

檀さんに会った瞬間…
「あぁ、終わった!(大手メーカー、さよなら)」
檀さんは、主人が大好きな生き方をしていたからです。
主人は、檀さんに一目惚れ!
檀さんに会ったその日に主人から、「大手メーカーで建てることは可能だよ?どうしても私が大手メーカーで建てたいなら建てる!でも、俺に任せてくれるなら、檀さんなら、大手メーカーより素敵な家ができるかもしれない。どうする?」と言われました。
大手メーカーで建てたかった私も、檀さんなら!もっと素敵な家ができるんじゃない?と思っていました。

実際、私達が建てたかった家は、「シンプルに!!」がモットーで、檀さんからしたら何の遊びもなく、面白みもなかったと思います。

でも、檀さんに設計してもらって、本当によかったです!感謝してます。


これから、檀建築コンサルタントの皆さんの益々のご発展をお祈り申し上げます。
ぜひ、私達の子供達の家を建ててもらいたいです。

大西

ホームページのリニューアルおめでとうございます!
拝見させてもらいながら、涙が出てきました。

家を檀さんに任せて本当に良かった。子供達も大喜びで走り回っています(^^)
初めて事務所を伺った時のこと、打ち合わせした時やメッセンジャーでのやりとりを思い出しました。
まさに信念を持った建築バカ!だからこそ、全てお任せできました☆

これから、檀建築コンサルタントの第二世代として、益々のご発展をお祈り申し上げます☆

Thanks for your message.We appreciate your continued support and encouragement.